滝沢秀明も共演したセガ『ドリームキャスト』CMの“湯川専務”が亡くなっていた!
「セガなんてダッセーよな!」
子どもたちが話しているのを耳にして、愕然とした表情を浮かべるスーツ姿の年配男性……。1998年に放送されて、大きな話題となったCMに出演していた“湯川専務”を覚えているだろうか。
秋元康プロデュースでCDも発売
「『ドリームキャスト』という家庭用ゲーム機のCMですね。当時はソニーの『プレイステーション』が人気で、セガは大苦戦。それを逆手に取った“自虐CM”で起タヒ回生を狙ったんです。実際にセガの専務だった湯川英一(ひでかず)さんが“自分自身の役”を演じており、CMは8本も制作されて、途中からはジャニーズの滝沢秀明さんも出演していました」(ゲームライター)CMでは『ドリームキャスト』の生産が遅れた責任をとって“常務”に降格されたが、実際はセガが属していたCSKグループで数社の役員を兼任していた有能なビジネスマン。後にクオカードの社長にも就任した。
「秋元康さんプロデュースでCDまで出しました。ただ、『ドリームキャスト』は結局、CMの勢いが長く続きませんでしたね。2001年に生産終了し、湯川さんが表舞台に出ることはなくなりました」(前出・ゲームライター)
2018年には『ドリームキャスト』発売20周年を祝う熱心なファンもいたが、湯川氏は消息不明のまま。
「都内の閑静な住宅地に住んでいましたが、数年前から入院しているらしいんです。詳細は不明ですが、心配ですね」(湯川氏の知人)
晩年の湯川専務
湯川氏の豪邸は、豊かな自然に囲まれた場所にあり、鳥のさえずりが聞こえてくる。「14年ほど前、近くから引っ越してきて、このお屋敷を建てたんです。湯川さんはCMどおりの感じがいい人で、たまに立ち話もしました。“ウチで食事でも一緒にいかがですか?”と声をかけていただいたこともあったんですが、恐れ多くて。よく散歩をしていましたが、そういえば3年ぐらい前から見なくなりましたね」(近所の住人)
やはり体調を崩したままなのだろうか。その後の事情を知っている人もいた。
「実は、湯川さんは去年亡くなりました。遺産の相続も終わっています」(別の住人)
自宅を訪ねると湯川氏の妻が対応してくれたが、詳しいことは改めて連絡するという。すると、湯川氏の部下だったという人から電話があった。
「たしかに昨年の6月、誤嚥性肺炎で亡くなりました。ここ数年は体調がよろしくなかったものですから、ご家族は覚悟していたと思います」
――なぜ発表しなかった?
「CSKにも連絡していないんです。お世話になった方には昨年末に連絡しましたが、静かに送りたいという、ご家族の意向だったので」
――CM出演の後、湯川さんはどんな仕事を?
「定年までCSKグループにいて、クオカードが最後ですね。その後、私が独立して作った会社に会長として来ていただきました。5年前に体調を崩されてからは、ご自宅でゆっくりとされていたようです」
今は天国でセガの『ドリームキャスト』を楽しんでいるのだろうか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5f5f2da08b377c59a1e027c0ae8d12d0a917c2e0
顔は忘れたが名前は憶えてる
あの当時も60は過ぎてただろうから90近く行ってたんかね
なんだかんだで有能
みたいな一般人の好みそうな部分で負けたのが残念その日本人の悪いところが
今はナンバリングタイトル乱発などでの開発力低下に直結してるんだから
ざまぁない
そう云うところ関係なくドリキャスは負けてたと思うぞ。なにせ、プレステ2の後はゲームキューブや初代xboxが控えてるし、前世代のサターンが世界的にコケて特に長所もないセガハードが生きていける時代背景じゃなくなる。
湯川専務パッケージのドリキャス持っていました、ご冥福をお祈りします
>>29
サターン時代は任天堂64にトリプルスコアで敗北、ハードは日本と世界でPC猿人レベルの売上
ドリキャスにしてもNECの半導体不足の初動でコケ、アーケード移植メインのマニアハード
勝ち目は無かったのだと思う
後互換あったのもデカい
ゲームパッドにまで互換あったしその後ニンテンドウが調子を取り戻してプレステは弱った
ダメ押しにマイクロソフトのサード買収で完全にタヒんだ
勝負投げたんじゃなくてドリキャスを売り始まる前からコケてた
半導体の在庫確保できなくて発売日から台数出せなかったのが最大の失敗
その後しばらく品薄で機会損失して終了今もどこかで既視感あるよね
あっという間に時が過ぎた感じがするな
後出しながら、サターンが世界的にコケてたわけだし、サターンを最後に自社ハード事業から撤退して
アーケードとソフト事業に全振りしたほうが正解だったな
80年代はな。
いいとこ90年代前半までかな。
そっから後は…
ソウルキャリバーなんて当時凄かったからな
サタパやサターンソフト互換ないわ
純正パッドすぐ壊れるわマトモなソフト供給まで時間かかりすぎるわ
プレステ関係なくドリキャスはコケてたよ。そもそもロンチの時点で国内の一般層にウケるラインナップちゃうやろ
サターンのソフト資産を生かせなかったのはマイナスだったなあ
俺も値下げしてから買ってたな確か
御冥福をお祈りします。
ロボピッチャのTVCMに出ていたくらいだから、かなりの歳かな
品薄とはいえ朝イチ秋葉原にいたら普通に買えたんだよなDC。
ちなみにロンチソフトはクソだったから何も買わなかった。
家でずっとインターネットして電話代3万とかかかってた。
あのCMも自虐すぎて湯川専務しかアピールできなかった
近所の駿河屋で専務の顔写真のドリキャス本体箱付きが売れ残ってたから
これを機に購入しとくわ
ハードから撤退したSEGAを出た、この時点で先見の明があり有能だとわかる
内情を知るからこそ出てったんだろうけどな
ずいぶん懐かしいなw
78歳じゃなかったっけ
ご病気で亡くなったらしいね
DCのVM(ビジュアルメモリー)でミニゲーム出来るのもあったみたいだし、コントローラーにVM挿し込めばゲーム中にソフトにあったアイコンが表示されるしな
キカイオーを身内にやらせてもらった事あるぜ…
SEGAハードの復活ってマジであると思う
任天堂しだいだけど
あの酷いムカつくCMよく引き受けたと思った
やれる人がいなかったから押し付けられたのかもしれないけど
なんか自分が年取った事を実感する。
悲しいなぁ。
NAOMI基盤との互換性でアーケードゲームがゲーセン導入直後からドリキャスで遊べたのは当時としては良い仕樣だったな。
成功して欲しいハードだったが、武運拙くゲハの露と消えた名機。
せーがた三四郎ー
そんなCMやってたね
任天堂派だから買わなかったけど
ゲーセン通ってた身としては神ハードだった
Naomiのゲームがそのまま家で遊べたからね。
発売日にバーチャ3tbといっしょに買って遊んでたよ
同時期に64で時オカとFZEROXも遊んでたな。懐かしい
二十歳の頃だったんで色々おもいだすよ
ご冥福を祈ります
セガサターンがPSに負けたのは、ソフトの作りやすさなんだよね
インディーズの間口の広さや、比較的簡易なソース配分とかクリエイター泣かせな制作環境だったからサターンや64は負けたんだよ
売り上げが振るわなかったからといって悪いハードという訳じゃない
ドリームキャストにも名作ゲームはたくさんある
風来のシレン外伝女剣士アスカは今やプレミアついてるし俺の宝
SEGAはボロボロンになり秋元康の評判だけが残った。
発売日に買ってもらったドリームキャストが箱付きで眠ってる。
ドリームキャストは家庭用ゲーム機における『立ち上がりに失敗したら後から頑張っても駄目』を知らしめたハード
今まさにPS5がそのパターンに陥っているけどね
湯川専務亡くなってたんですね、CM楽しませてもらいました。ご冥福をお祈りいたします。ドリキャスといえばサンバDEアミーゴかな、よくやってた気がする。めっちゃ後で知ったけど、家庭用ゲーム機でPSOネットデビューなんて時代を先取りし過ぎてたなと思った。動画配信時代になってそれで初めて動画を見た時の衝撃は凄かった。かなり昔のゲームなのにあの時代にこんなことができたの!?って驚いた。理解が追い付いていればやりたかったと思わせるソフトもあってハードは持っていたけど、有効活用できてなかったんだなと思った。ゲームキューブも後々買わなかったことを後悔したハードだからかWiiからは任天堂ハードを欠かさず買うようになった。ゲームキューブソフトはWiiの互換機能で出来るけどねw(コントローラーとメモリカード必須だけど)
※13
何を根拠にPSはソフト作りやすいとか言ってるんだ
実際はライブラリなどまったく用意されていなかったり散々だったぞアレ
ゲーム開発においてはツール面でもセガは一日の長があり、ゲーム開発者からの信頼もあつかった
新参のソニーはそういうところ全くダメで、最初は業界新参者であるソニーにメーカーは協力してくれないだろうと読んでた。そこで出た行動はゲーム開発キットをタダ同然でばら撒くこと
この為にそれまで開発の下請け、孫請けやってた会社がPSに参入し、PSは名前も聞いたことの無いメーカーがずらりと並ぶことになった。同時にクソゲーもすさまじく多かった
※13
何を根拠にPSはソフト作りやすいとか言ってるんだ。実際はライブラリなどまったく用意されていなかったり散々だったぞアレ
ゲーム開発においてはツール面でもセガは一日の長があり、ゲーム開発者からの信頼もあつかった
新参のソニーはそういうところ全くダメで、最初は業界新参者であるソニーにメーカーは協力してくれないだろうと読んでた。そこで出た行動はゲーム開発キットをタダ同然でばら撒くこと。この為にそれまで開発の下請け、孫請けやってた会社がPSに参入し、PSは名前も聞いたことの無いメーカーがずらりと並ぶことになった。同時にク●ゲーもすさまじく多かった
※13 スクウェアがFF移籍を発表するまでは、サターンがPSに勢いで優り、セガ悲願の国内シェア首位‥‥も、夢物語ではないと思わせた。
(サターンがもう少しムービーに強い仕様だったら、ひょっとしたらスクウェアの判断も変わって、別のゲーム史が展開したかも)
DCは性能バランスは中々だし、開発のしやすさは明らかにPS2より優れていた。半導体トラブルさえなければ‥‥
(ただDCの美点を、さらにグレードアップしたGCもほどなく発売されるので、ハード寿命は長くなりようがなかったと思われる)
※17 ハード発売から2年半以上が経つ来年夏のFF16から、PS5の反撃が始まると固く信じるゲハ界隈の住人も結構いるような。
‥‥夢は、夢見ているうちが花、とも言いますからね‥‥
※22
今回の決算ではソニーと任天堂で明暗が分かれたみたいだね。いよいよ軌道に乗ってきたソニーと失速が始まった任天堂
※24
PS5作れないから利益増えましたを軌道に乗ってると捉えるなんて変わってるね
逆ザヤしてまでハードを売りたがってたソニーが縦マルチに逃げてPCモバイル向けに注力ってPSは早くも失速が始まってるよな
※24 ソニーのゲーム&ネットワークサービス(G&NS)事業の営業利益は3461億円 → 任天堂の営業利益は5927億円 ‥‥どのあたりが「明暗」なのでしょうか?
出荷台数もスイッチ 2306万台に対し、PS5 1150万台なんだけど‥‥
(生産出荷という概念と、任天堂の「わが社では、第三者の手に渡った段階で初めて、出荷台数にカウントします」コメントをお忘れなく)
※4
ご病気って言うか誤嚥性肺炎だから
寿命って言えるかもしれない
高齢者は肺炎になるとヤバいからなあ
サターンのアーケード格闘ゲームの移植は当時最高だった。
秋元康の犠牲者とも
※6
今のセガを見てハード復活とか目を覚ませとしか言えない。
※22
PS3はハード序盤は低空飛行だったけど中期以降に復活したから無いとは言えない。
任天堂Wiiの大失速&ライバル不在だったのが大きいけど。
状況的にSwitch絶好調&長寿命化して限界が見えてきているのが、当時と重ならない気もしないでもない。
NECとかいう無能と組んでしまったのが最悪だったな
ドリキャス当時にわが社のシステム開発やってたがエラー頻発して全く使い物にならなくて担当者が毎日ヘーコラしてた記憶
当時はNECと富士通が無能二大看板で名が通ってたのになんで頼んだかね